国立公文書館で開催中の「最後の殿様-廃藩置県から府県制へ-」展は、COVID-19のせいで延期になっていたのですが、やっと開催できたのでした。
展示内容
公式サイトの説明によると
令和3年(2021)は、この廃藩置県から150年目にあたります。本展では、明治維新を経て、新しい時代への転換を象徴する大プロジェクトであった廃藩という激動のさなかで揺れ動く全国の府県の様子を描きます。 さらに、廃藩に翻弄されながらも明治を生き抜いていく各地の「最後の殿様」たちの姿に迫ります。
展示会情報:国立公文書館
とのこと。
展示構成は以下の通り。
- 廃藩から150年
- 廃藩断行!
- 県境は動く ~府県の姿~
- 殿様たち、その後
- 47都道府県へ
「廃藩置県の詔(みことのり)」は1871年(明治4年)7月14日に下された(150年前!)。江戸時代末期には300以上の藩があったが、それらを廃止させ、3府302県を設置した。
江戸時代の「藩」には藩主(殿様)がいて、世襲制でそれぞれの藩を支配していた。それを、明治中央政府が府県として支配下に置き、「政令」(法律)を全国で統一するのが目的。諸外国と対峙するために強力な中央集権国家の構築が急務だとの考えからだ。
なお、この資料は国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧可能: 「廃藩置県ノ詔書」
それに先立つ版籍奉還によって、藩主たちは一次的に「知藩事」に任命されていた。しかし、廃藩置県によって全員が罷免され、新たに中央政府が任命する府知事・県知事が任命された。
罷免された旧藩主たちは東京へと移住し、「華族(貴族)」の身分が与えられてその後の新たな生活を営むこととなる。なお、同時に「公家」たちも「華族」となっている。
三百以上の府県で始まった府県制だが、その後、統廃合が進んでいく。だが、その道のりは平坦ではなく、大きく一つにまとめたかと思えば、のちに一部を分割することもあった。そんな紆余曲折の動きが各地で起きている。
東京府の場合、神奈川県に属する北多摩郡・西多摩郡・南多摩郡(合わせて、三多摩と言われた)がのちに東京に編入される。東京に水道水を供給する玉川上水が三多摩を流れていたため、その管理を自ら行いたいと東京は考えたのだ。また甲武鉄道(現在のJR中央線)の開通によって、三多摩の生糸・織物産業地区と、消費地である東京を一括りにすることによってさらなる発展を促そうとの思惑もあった。
各地で、それぞれの事情によって統合・離散が繰り返されていく。
幕府直轄地だった和泉国(現在の大阪府南西部)は堺県となり、のちに奈良県を編入する。さらには大阪府に編入された。だが、大阪府が大きくなりすぎたため、改めて奈良県が分割される。
現在の鳥取県は一時期、島根県に統合され、巨大な島根県が存在した。その後、鳥取県が改めて分割され、今に至っている。(「鳥取県再置ノ件」)
家族となった旧藩主たちはそれぞれの道を歩むことになる。
旧米沢藩の藩主だった上杉茂憲(うえすぎもちのり)は、自費でイギリスのケンブリッジ大学へ留学し、帰国後に沖縄県令となった。展示されている資料は、上杉茂憲の履歴書。
沖縄県令となってからは県費留学生を東京に送るなどの施策を行っていき、元老院議員となって沖縄を離れた時には奨学資金を沖縄県に寄付したそうだ。
旧長岡藩主だった牧野忠訓(まきのただくに)は、戊辰戦争で荒廃した地域復興のために長岡に酒造所を建てる。屋号は牧野家の家紋からとって「柏屋」とした。その後、経営者は変わったが現在も柏露酒造として続いている。
旧奥殿藩(現在の愛知県岡崎市・長野県佐久市)の藩主だった大給恒(おぎゅうゆずる)は、西南戦争の戦地の悲惨な様子を見て、戦地に敵味方分け隔てなく救済する団体の設立(博愛社)を国に願い出る。しかし、許可が下りなかったため、彼は元佐賀藩士らと共に私費で博愛社を設立する。のち、博愛社は赤十字社と改名し、今に至る。
感想
日本史を勉強した人なら誰でも聞いたことのある「廃藩置県」。江戸時代の藩をやめて、現在の都道府県にした、と単純に考えていた訳だが、こんなにも色々なことがあったとは知らなかった。最初は三百以上の府県があったと言うことも、聞いたことはあったものの、それらがどうやって今の47都道府県になっていったのかの経緯は全く知らなかった。奈良県って一時的には大阪だったとか、鳥取県も島根県に統合されていたことがあったとか、とかとか。そう思うと、ケンミンSHOWなどでみる“県民性”の起源って実はかなり新しいものなのかもしれない、もしくはその昔の藩の括りに由来する物なのだろうと言うことも思い起こされた。
自分の住んでいる都道府県がどのような経緯で今の形に落ち着いたのか、その歴史を知るだけでも楽しそう。展示されている資料は一部だが、国立公文書館 デジタルアーカイブでは上記の通り、実物(を写真に撮ったデータ)が見られるので、頑張れば家にいながら調べられそうだ。
「殿様商売」って言葉がある。武士が商売をしても、威張ってばかりで「顧客ファースト」の心構えに欠け、上手くいかないというような意味だ。でも、旧藩主の中にはそこそこ上手くやっていった人もいたようで、この「殿様商売」って表現で括ってしまうのは申し訳なく思えた。「博愛社(現在の赤十字社)」設立などの慈善事業を興す殿様もいて、当たり前だが人それぞれだったのだろう。
中には“失敗例”もあるのだろうが、さすがにそんな話は展示にはなかったな。
江戸時代以前の古文書って、あのクネクネした草書で書かれていたり、ガチガチの漢文だったりするので全くと言っていいほど読めない。まだ、古代ローマの碑文の方が読めるかも知れないほど。
だけど、明治時代の文書だと何とか読むことができる。原本を直接読める(解読できる)って楽しいもの。今回の展示では一つ一つの資料をじっくり眺めて解読に挑戦してみた。お蔭でずいぶんと時間が掛かってしまったが、楽しい時間でした。
COVID-19のために入館時に体温測定や連絡先記入(名前と電話番号)が必要ですが、ちゃんと開館してくれているのでご心配なく。生の歴史が勉強できるいい機会だと思いますから、一見の価値ありですよ。
美術展情報
- 会期 : 2021/2/8(Mon) – 3/14(Sun)
- 開館時間 : 09:15 – 17:00
- 休館日 : 期間内無休
- 料金 : 無料
- 公式サイト : 展示会情報:国立公文書館
- 図録 : 無料のパンフレットを配布
- 参考書
コメント
「殿様は明治をどう生きたのか」、ぶんじんさんの解説を読むだけでも勉強になりました。殿様サイドからだけでなく、三多摩をまとめて管理することによって、インフラとしての水を管理しようとする国の姿勢も伺え、なるほど!でした。国立公文書館は研究者のためのもので、私には縁遠いと思っていましたが、そうでもないのですね。