「儒教のかたち こころの鑑」展 今から見れば親ガチャ失敗例?!

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儒教のかたち こころの鑑 美術展・写真展
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東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で「儒教のかたち こころの鑑 日本美術に見る儒教」展を観てきました。
この企画展では写真撮影OKです。ただし、会場に掲載されている注意事項に従ってください。

展示内容

公式サイトの説明によると

理想の君主像を表し為政者の空間を飾った、大画面の「帝鑑図」や「二十四孝図」が制作された一方で、庶民が手にした浮世絵や身の回りの工芸品の文様にも同じ思想が息づいています。それらの作品には、当時の人々が求めた心の理想、すなわち鑑(かがみ)となる思想が示されており、現代の私たちにとっても新鮮な気づきをもたらしてくれます。本展が、『論語』にある「温故知新」(ふるきをたづねて新しきを知る)のように、日本美術の名品に宿る豊かなメッセージに思いを馳せる機会となれば幸いです。

とのこと。

展示構成は以下の通り。

  • 第1章 君主の学問
  • 第2章 禅僧と儒教
  • 第3章 江戸幕府の思想
  • 第4章 儒学の浸透

平安時代になると、内裏の紫宸殿において天皇の玉座(高御座)の背後に「賢聖障子(けんじょうのそうじ)」が飾られ、臣下の見本(鑑:かがみ)は儒教の賢人たちだという認識が定着した。戦国時代の正親町院仙洞御所には「勧戒画」(中国歴代皇帝の鑑とすべき善行と戒めとすべき悪行を描いたもの)が飾られていて、為政者は儒教の教えを尊んでいた。
そのため、為政者と関係の深い狩野派などの絵師たちがそれらの絵画(「帝鑑図屛風」や「二十四孝図屏風」など)を作成していった。かの英一蝶も「孔子像」を残している。

多くの禅宗の僧侶が為政者のブレーンとなったが、彼らも儒教(特に宋学:宋の時代に生まれた儒学の新たな流れ)に傾倒したため、儒教が政治の世界の潮流となった。併せて、教えを説く宗教画として儒教がモチーフとなっていく。「三教図(儒教・仏教・道教という異なる教えは、究極的には同じ真理を目指しており、根底においては一致するという考え方をモチーフにした絵画)」、「虎渓三笑図(三教の融和を描いたもの)」などが作成された。

江戸時代になると、新儒学の朱子学が御用学問となり、湯島聖堂が建立され、宗教儀式としても豪華なものとなる。そのため、絵画や工芸(儀式に用いる器など)が多く作成されていった。また、庶民にも浸透していき、「南総里見八犬伝」や「仮名手本忠臣蔵」などにも採り入れられていく。

感想

儒教の教えって、「母親にせがまれたから雪の中からタケノコを見つけてきた」だの、「継母に虐められたけど、自分だけ我慢すればいい」だの、今の時代感覚からすると毒親のオンパレードだ。“孝”という教えで、親ガチャに失敗してしまったのにそれを黙って受け入れろと言いくるめていた訳だ。と、孔子の生きた時代から二千五百年も経ると評価は全く変わってしまう。
とは言え、仏教に先立って日本に伝来した儒教は、特に江戸時代に一般庶民にも広まり、定着していたというのがこの企画展でよくわかった。これだけの美術品が作られ、今に伝えられて残っているのだから、まさに文化として根付いていたことの証しだ。それが現代においても「価値観を見直す」ことに対する反対・抵抗として表れているのだろう。

この企画展では、いつも以上に各作品に対する説明書きが多かった。孟宗のタケノコの話を知らないで「二十四孝図」に描かれた絵を観たら、何を描いているのか全く分からないだろう。テーマとなっている説話を簡単に紹介する説明書きがあったお蔭で各作品を“理解”することができた。美術品としては意味が分からなくても見たまま・感じたままでいいのかも知れないが、今回のような作品ではテーマ・背景を知ることは必須だろう。
そんな説明書きに助けられたのだが、一枚ずつきっちりと読まねばならないので、いつも以上に時間がかかってしまった。観賞のあとに予定を入れている人はスケジュール設定に注意しましょう。

今回は美術鑑賞と言うよりも、儒学・朱子学のお勉強という色合いが強かった。もちろん、狩野派の描く鳳凰は美しく、鈴木春信や歌川国芳らの浮世絵は艶めかしく、観ても楽しめたが。

美術展情報

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