恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で「TOPコレクション 見ることの重奏」展を観てきました。
この企画展では一部作品を除いて写真撮影OKです。撮影NGとなっている作品を確認しつつ、注意して撮影してください。
また、三脚・フラッシュNGなどの注意事項にも従ってください。
展示内容
公式サイトによると、
本展覧会では、当館の所蔵する写真作品を中心に、「見ることの重奏」をテーマとして、見るということを問い直す試みを行います。
東京都写真美術館
(中略)
イメージの作り手、語り手、受け手など、その立ち位置によって、写真を見るという行為は多様なものとなります。そして見る経験は、イメージの表面上には見えない、歴史的な視点と豊かな想像力、自身の思考が重なり合い、それらを共鳴させる行為とも言えるのではないでしょうか。
本展では、これまで語られてきた作品をめぐる言葉とともに、時代も地域も異なるコレクションが一堂に展示されます
とのこと。
展示構成は以下の通りで作家ごととなっている。
- ベレニス・アボット, ウジェーヌ・アジェ, アンナ・アトキンス, チェン・ウェイ, スコット・ハイド, アンドレ・ケルテス, ウィリアム・クライン, 奈良原 一高, マン・レイ, 杉浦 邦恵, モーリス・タバール, 寺田 真由美, マイナー・ホワイト, 山崎 博
ウジェーヌ・アジェの作品はいつ観ても惹かれてしまう。街角の風景を写しただけと言えばそれまでなのだが、その構図の良さ、丁寧さが百数十年の時を超えて当時のパリへと連れて行ってくれる感じがする。
階段の手すりはどれもアールヌーボー調で美しい。だが、それだけではない、人のぬくもりのようなものも感じられる。そこには人物は全く写っていないのに、生活の場であることが感じられるのだ。なんとも不思議。
アジェの作品を多く買い集め、アメリカで紹介したベレニス・アボット。彼もまた街の風景(ニューヨーク)を多く残している。ニューヨークは、アールヌーボーの街パリとは異なり、アール・デコからモダニズムの時代へと移っていた。スカイスクレイパーが林立し、昔ながらのビルはその麓で縮こまっているようだ。彼は街を俯瞰で観ている。
マイナー・ホワイトはアメリカ オレゴン州ポートランドで「公共事業促進局」のカメラマンとして働いていたそうだ。ちょっと堅いイメージの職歴だが、彼の作品は光の妙を取り込んだものが多い。窓から漏れ差し込む光は不可思議な紋様を描き、そこに何らかの意味を読み取りたくなってしまう。
スコット・ハイドはスナップ写真や絵画などを複数点選び、それぞれを単色でプリントしつつ重ねていく形で作品を作っていったそうだ。すると、街の通りを走る自動車に樹木が重なり、道路にはギリシャかローマの人々(たぶん、何かの絵画の一部)が寄り添い、集まっている。そんな風景となっている。いや、これは風景とはもう呼べないだろう。では、なんと称したら良いのだろうか。
中国のチャン・ウェイは、風景をスタジオの中で再現(?)して写真を撮っている。風景を受動的に写すのではなく、自ら作り出している。
何かに取り憑かれたような人々が点でバラバラに歩いている。確かに、実際の街角だって、そこを行き来する人々に個々の繋がりはなく、たまたま同じ時刻に同じ場所にいたというだけの“関係”でしかない。
アンドレ・ケルテスの作品は、何気ないものを撮っただけ。でも、それにしては花瓶の花、ソファーに寝そべる(?)女性の格好、一見すると頭部がどこかに消えたように見える水泳をする男など、もう、何かを言いたいに決まっているではないか。そのくせタイトルは「水面下の泳ぐ人」や「おどけた踊り子」だのとなっている。それは、見れば分かる。知りたいのはそうじゃなくて!とツッコミを入れたくなってしまう。
寺田真由美の作品は、さしたる演出もなく、そこにあるものをそのままに写し撮ったものばかり。がらんとした空間に柱があり、その影が床に映り、そして、その先に出入り口としての穴が開いている。飾り気の全くない部屋だ。いや、部屋と言うには柱が不自然か。でも、そこにあるのだから仕方がない。
何もないからこそ、一つ一つに意味を求めたくなってしまう。風に煽られたカーテンは何の暗示なのだろうか。入り口の向こうには、よく見るとハンガーが掛かっているのだが、これは何を言いたいのだろうか。
実は、これらの風景は模型なのだそうだ。となると、これはもう作者がそこに意味を込めているに違いない。謎解きはこれから。
感想
本企画展のタイトルが「見ることの重奏」となっている。単に重なる(重層)のではなく、奏でるのだ。公式サイトの説明の通り、作者、解説者・批評家、そして鑑賞者が一つの作品をどのように読み解くのか、それらがどのように関係しているのかを考えることができるようになっている。
アジェの作品は、一枚、二枚だったら単なるスナップ写真か、良くて街の記録写真と言ったところだろう。ところがこれだけ集まるとそこに新たな意味が生じてくるから不思議。そう思ったら最後、途端にスナップ写真だったものが何かを語り出す。そして、鑑賞者の「私」はノスタルジーだの人々の生活の温もりだのを感じてしまうのだ。
作品が作者の手を離れたら、あとは鑑賞者が好きなように解釈していくもの。作者が全く意図していなかった意味が読み解かれていく。それは写真に限ったことではなく、絵画だって、小説だって同じだ。好きなように見れば、そして解釈すれば良いのだ。
とは言え、作者がそこにどんな想い・思想・主義主張を込めたかを知るのもまた楽しい。それは別に答え合わせではなく、並列に置かれた一つの解釈なのだ。道義的には作者の想いに多少の重み付けはしても良さそうだけど。
なんだかんだで、やはり馴染みのアジェの階段の手すりがお気に入りかな。あと、寺田真由美のカーテンが風になびいている奴もなんか気に入ってしまった。そこから波瀾万丈の壮大な物語が始まりそうな予感が読み取れてしまったので。
今回も楽しめる企画展でした。それにしても東京都写真美術館の収蔵品には良い作品が一杯ですね。次回も楽しみです。
今回、遅ればせながら今年度の年間パスポートをゲット。最近の猛暑で外出が億劫になっていたのだ。でも、これでまたちょこちょこと観に行くことになりそうです。
写真展情報
- 会期:2024/07/18 (Thu) – 10/06 (Sun)
- 開館時間 : 10:00 – 18:00(木曜日、金曜日は20:00まで))
- 休館日: 月曜日
- 料金 : 一般700円 学生 560円 中高生・65歳以上 350円 小学生以下および都内在住・在学の中学生は無料
- 公式サイト : TOPコレクション 見ることの重奏
- 図録 : 2,640円(税込)
- 参考書
コメント
「見ることの重奏」素敵な企画ですね。今回も丁寧に解説していただいてとても助かりました。
ゆっくり時間をかけてみたい写真展です。
収蔵品からのピックアップで、前に見たことのある作品も多数。でも、こうやってテーマを決めて並べると「なるほど」と思えるのが不思議。キュレーターさんのなせる技だと、毎回感心しています。