★ あらすじ
十八世紀後半、東北の寒村。冷害が続き、村は疲弊していた。赤ん坊が生まれても、すぐに“口減らし”しないといけなかった。そんな村に住む凛の一家(父と弟と凛)は、先代が犯した罪によって田畑を取り上げられてしまい、今は遺体処理(墓穴を掘って埋める、赤ん坊を川に流す・・・)をして何とか生計を立てていた。それでも、村人達からは穢れた仕事をしているとして忌み嫌われ、蔑まされている。彼ら自身が罪を犯した訳ではないのに、その理不尽さに耐えねばならない。村を出て行っては生きてはいけないからだ。そんな因習、閉塞感、終わりのない絶望の中、凛は日々を送っている。
村人達は素朴な信仰を持っていた。山の頂きには女神がいて、死ぬと人はその元に行く。山は聖なる場所なので、山腹の祠よりも奥には入ってはいけないとされている。もちろん凛も素直に信じていた。その信仰は、現状を変えてくれるようなものではなく、諦念の行き着く先でしかないのだが。
そんな中、事件が起きる。そのせいで、村人達からの当たりがさらに強まってしまった。凛はついに耐えきれなくなり、村を出て一人、山に入っていくことを決意する。そう、山の中は聖なる場所。村人達も誰も入ってこない黄泉の国で、凛は現世からの逃避を試みたのだ。
死地であると思っていた山の中。だが、凛はそこで思わぬ出会いをする。突然、目の前に山男(大男の妖怪と信じられていた存在)が現れたのだ。
★ キャスト&スタッフ
- 出演:山田杏奈、森山未來、二ノ宮隆太郎、三浦透子、山中崇、川瀬陽太、赤堀雅秋、白川和子、品川徹、でんでん、永瀬正敏
- 監督:福永壮志
- 脚本:福永壮志、長田育恵
- 制作:Eric Nyari、三宅はるえ、家冨未央
- 原作:柳田国男「遠野物語」
- 音楽:Alex Zhang Hungtai
- 衣装:宮本まさ江
★ 感想
以前、他の映画を観た時に何度かこの映画の予告編を観て、なんとも気になる作品で惹きつけられてしまったので、前売り券を購入して観に行った。あと、柳田国男の「遠野物語」は途中まで読んで中断してしまっていたので、この映画を観るにあたって、慌てて最初から読み返した。
なぜ、この時代のこの地域、そしてこの家族の元に生まれてきてしまったのか。“親ガチャ”に“時代ガチャ”、“地域ガチャ”も付け加わる、どうしようもない理不尽さ。これは現代人の私たちも、形や程度は違えど、ある程度は感じているものじゃないですかね。村八分に合うことは余りないかも知れませんが、窮屈な想いは誰しもしているでしょう。その意味では、意外と共感できる話でした。
以前読んだ本に、「閉塞的な村社会にあって神隠しは今のしがらみから抜けだし、生活を、人生をリセットする方法だった」と言った話があった。本人は現在の生活を捨ててその土地を出ていく。残されたものも神様のせいだからと敢えて探したり、罪を問うたりしないという訳だ。主人公の凛が逃げ込んだ聖なる山は、まさにリセットできる場だったのだろう。もちろん、そこで生きていける保証はないわけだが。
逃げることは悪いことではない、というメッセージか。
遠野物語にも山の女神や山男、山女の話が出てくる。神様や妖怪の類いとして描かれているわけだが、“合理的”に考えれば山男は山に住み着いた盗賊だったり、世捨て人だろうし、山女はさらわれてきた被害者なのだろう。もしかしたら、山男は漂流してきて山に逃げ込んだ外国人だったかも知れない。でも、そんな風に考えるのは下世話というものだろう。
父親役の永瀬正敏の演技が良かった。理不尽さに耐えきれずにキレてしまったシーンや、娘に対して嘘をつく時の申し訳なさを押し殺した表情が切なすぎる。
山男役の森山未來は、一切台詞がなく、さらには無表情だというのに存在感は際立っていた。
切ない話が続いたが、先日観た「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」よりは救いのある話だったろうか。映像は美しかったし、お薦めの一作だ。
★ 公開情報
- 公開日:2023/6/30 (Fri)
- 主な上映館:ユーロスペース、シネスイッチ銀座、新宿 | ケイズシネマ、その他全国
- 公式サイト:山女|6/30(金)全国順次公開
- 映画祭出品:第35回東京国際映画祭コンペティション部門、第47回香港国際映画祭ワールド・シネマ部門、第22回ニューヨーク・アジアン映画祭、第23回日本・コネクション
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